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1.73BLOG

文章術│広告の作り方│エッセイ

アフィカス!広告うざいと叩く心理

エッセイ

うざいぞ!アフィカスと叫ぶ

収益化の広告貼るとアフィカスとか、風当りが強いな、と。無料ブログで、デフォの広告を表示したり、営利ブログでセミナーやイベントの告知を張ったりするのは、あまり叩かれないのにね。

うざい「アフィカス」と叩く人の心理を考察してみました。

 

アフィカスの抜け駆けを許さない心理

嫌儲という言葉があります。「けんちょ」「けんもう」「いやんもう」と呼ぶそうです。資本主義は「お金」で効用を得られるシステムです。これまで自分と同じだと思っていた人が、アフィでお金を稼いで現状を変えようとする。

これは商業主義批判の建前で、アフィカスの抜け駆けを許さない心理に見えます。学校でバカをやっていた仲間が、受験生になって勉強をはじめる。すると「なんだよ、アイツ」と友達が言い出す。ガリ勉批判と商業主義批判は似ています。

 

広告がうざいとケチをつける心理

サイトの運営者は読者ではありません。何をどこに貼り、どうデザインするか、は運営者の自由です。ただ、見た目の悪いサイトを読まない、あるいは、自分はそんなサイトにしない、というのは読者の自由です。

 

ご都合主義の自己中クレクレ心理

これまで広告がなくて冒頭から文末までストレスなくエントリを読めたのに、ある日、広告が貼られて読みづらくなった。これは「ユーザビリティの低下」という文脈で批判されます。しかし、ユーザビリティをどうするか、サイト運営者が自由に判断すべきことです。

ユーザビリティの低下に対する読み手のもっとも有効な批判は、アフィカスと叩くことではなく「読まない」「訪問しない」ことではないでしょうか。広告はジャマで文句をいいたいけど、コンテンツは読みたい。ここにクレクレ心理を感じます。

 

アフィカスから情弱を守る正義感

十分な判断力を持たない無知な人が、アフィカスのリンクから物を買ってしまう。情弱にたかる、ステマ批判もあります。しかしこれもどうでしょうか。

多くのASPは「プライバシーポリシー」や「スポンサーリンク」の表示を義務づけています。クリック誘導も禁じています。広告は「広告と明示する」のが世の流れ。新聞のペイパブ(有料記事広告)でも「広告」と明示されています。

正義を振りかざすのは自由ですが、新聞や雑誌の広告は看過して、アフィリエイトは許さない、というのは不思議な心理だと思います。

 

一部の違法者を全体と捉え叩く

規約違反したり、著作権や景表法(有利誤認)に違反したりして、消費者を欺く運営は、批判の対象になるでしょう。しかし、これはアフィリエイトが問題なのではなく、法律違反や公序良俗に反する行為をしている当事者の問題です。

学校でたとえると、「いじめた子」が悪いのであって、その子のいるクラスや学校全体が悪いことにならないのと同じことです。

 

広告の収益報告を叩く心理

他人に自分の収入を話すものではない。これは処世術のひとつのように思います。わたしも自分の所得を他人に公開するのは抵抗があります。理由はありませんが「品がない」感じもします。これは教育による刷り込みです。

一方で、自分の収益を公開したい人は、すれば良いと思います。個人と企業はちがいますが、上場企業は、IR等でP/L・B/Sの公開が義務付けられています。決算(収支)報告をすることで、事業の収益性や納税額を世間に認知させることになるからです。

本来、上場企業も決算報告書等は開示したくないはずです。企業ですらない個人が、自ら進んで収益報告をするのは殊勝なことだと思います。

 

最後に

以上、アフィリエイトが叩かれる理由を6つ考えてみました。どれも批判したり、叩いたりするほどのことか、というのが個人的な感想です。

私から見れば、無料ブログで広告を外さないでブログ運営をするのと、有料プランに変更し自分で広告を貼ってアフィリエイトをするのは同じことだと思います。広告が貼ってある点で、どちらもユーザビリティは下がりますから。

ある人は、無料ブログの広告収入は、運営者ではなく、ブログを提供している企業に入るから仕方がない、といいます。企業は許せるけど、個人の懐が潤うのは看過できないという理屈です。感情的にはわかる気もします。

しかし、私も含め、アフィリエイトをはじめる人の大半が、ブログを有料プランに変更したり、サーバーを維持したりするコストすらも賄えていないのが現実。多くの人がアフィカスと叩くのは、早くそこに気づけ、という愛のムチなのかも知れません。