新聞と広告の向こう側

新聞のつくり方・広告を読み解く視点

原因究明をすれば解決するか?

日本人は、何か事件が起こると原因究明に躍起になる。なぜ、そのような事件が起こったのか、なぜそうしなくてはならなかったのか。原因を究明しないと根本的な解決ができないと思い込んでいる。日本人以外はどうか、しらない。

何でも原因を求めたがる理由は2つある。ひとつは、原因と結果が単純な1対1の図式になっていると錯覚していること。もうひとつは、原因を突き止めることで、首謀者は誰か、実行犯は誰か、犯人捜しをして責任を問うためである。

しかし、現実を観察してみると、物事の因果関係は、1対1の単純なものは少ない。主要な原因はあっても、それだけで結果は引き起こされない。複数の特定できる原因、あるいは特定できない原因が絡み合って結果が生じる。複雑。

組織で問題が起こると、原因と犯人探しがはじまる。影響力の少ない社員が問題やミスを起こすと、責任を問われ始末をつけられる。ところが、原因究明の段階で、それが組織のコアに関わるものだと、原因究明は打ち切られ、直ちに善後策が検討される。

僕はこの記事で「原因究明が不要だ」と言いたいのではない。原因は、把握しておいた方が良い。しかし同時に「原因は不明(不定)でも、打てる手はある」*1このことを忘れないで欲しいと考えている。

原因は不明でも、類似の案件が発生した場合に、被害を最小限に抑える手立てはある。また、予兆から、問題の発生を回避する方策もあろう。ニュースを見ると、原因究明、犯人探しに熱心で、当座の「手当て」が、おろそかに見える。

根本的な原因を究明しないと問題の発生を食い止められない、というのは思い込みだ。原因と結果の間には、いくつかの段階がある。結果に至るひとつ前の段階で効果を発揮する処置があれば、それを採用すれば良い。

原因の根治はできなくても深刻な結果を生じさせないことはできる。フェイルセーフ*2は、そのひとつ。大事なことは、深刻な問題、被害を発生させないことである。

多くの人は、何事も原因がわかれば問題が解決できる、と考えている。たしかにそういう面もある。しかし原因がわかっても、解消する技術がない、あるいは別の原因の影響で解決できないことは少なくない。病気発症のメカニズムが解明されても、すべての病気が予防できるわけではない。

原因究明をしても解決できないことは存在する。繰り返すが、大事なことは深刻な結果、致命的な結果を導かないことなのだ。それには原因の究明を棚上げにして、対処を優先する視点も必要である。

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生じた問題の原因は複雑に絡み絡みあっている。

*1:仏陀毒矢の喩え:遊歩中の男の足に毒矢が刺さった。一刻も早く抜かなければ命が危ない。友人たちは、『すぐに矢を抜き、治療しなければ』と勧めたが、男は、『いや待て。この矢はだれが射たのか。男か、女か。その者の名前は。何のために矢を射たのか。矢に塗られた毒はどんな毒か。それらが分かるまで、この矢を抜いてはならん』と言い張った。やがて全身に毒が回り、男は死んでしまったのだ。

*2:なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ。これは装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたもの。