新聞と広告の向こう側

新聞のつくり方・広告を読み解く視点

SNSで感じる不幸は韓国の宣伝放送K-POPで脱北を決意する人の気持ちと似ている

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TVのニュースで知ったのですが、最近は韓国が北朝鮮との国境付近で宣伝放送をして成果を上げているそうです。この宣伝放送を聞いた北朝鮮の人民が脱北に走るのです。

放送はK-POPなどが流れるようで、先日の脱北者も銃弾5発を受けながら、収容先の病院で「少女時代」が聞きたいと話しました。

この話で興味深いのは、これまで過酷な生活をしていて脱北しなかったのに、K-POPを聞いているうちに脱北の決意が固まった人間の心境です。

恐らく「不幸」「不満」は、置かれた環境しか知らない人にとっては「日常」でしかなく、厳しいキツいという感覚はあっても、それを変える、何かを求めるという動機にまでは発展しなかったのだ、ということ。

それが楽し気なK-POPの歌声を聞いて、たやすく反転し脱北してしまう。そこにこの話の不謹慎ながら面白さがあります。

貧しさの実感というのは、自分がいま何を食べているか、どういう生活をしているか、というのは、あまり問題にならないのではないでしょうか。まして、まわりを見渡しても皆が同様に貧しければ「そういうもの」と納得してしまいます。

問題は、自らの日常が他者(他国)に比べて、ずいぶん劣っていると感じたとき、つまり、自分の状況と他者とを比較して相対的に劣っていると知ったとき、不幸や不満や変化への欲求が生じるといえましょう。

韓国はその効果を理解していてK-POPの宣伝放送を流し、北朝鮮はそれを脅威に感じるのでしょう。暗い世界にいるとき、人はそれを闇と感じません。光のあふれる世界を知ったとき、それははじめて闇であった、と気づくのです。

逆説的にいえば、人は他人の幸福をしらなければ、存外、自分は、いまある状況下で幸福でいられると思うのです。

 

韓国の宣伝放送とSNSの類似性

韓国の宣伝放送とSNSはよく似ています。
宣伝放送もSNSもキラキラした世界をわたしたちに伝えながら、自分の置かれている状況を相対的に気づかせる「不幸生産ツール」に見えます。

Twitterでこんなのが流れてきました。

SNSは基本、このスタンスで投稿されるものですから、実際はどうであれ、他者には、その人の輝いている部分だけがフォーカスされて届けられます。毎日、美味しいものを食べたり、素敵なものに囲まれていたり。

子供の頃、豊かな家の子の話をしてうらやましがると、親が「よそはよそ、うちはうち、よそを見てもしかたない」と言いました。たぶん生活水準を将来的に上げる自信のある人だと、こうは言わないと思います。

諦めていたのか、達観していたのでしょうね。

でも、これちょっと真理を含んでいまして、TVやSNSを見なければ、意外に自分の貧しさや不足が自覚できず、それはそれで現状に納得して生きていけるともいえます。

貧しさや不足は、それ単体では不幸にはなりません。他者の豊かさを知り、それを追い求めだしたとき、はじめて貧しさや不足は不幸になります。

自分の生活水準が上げられないとき、不幸にならない秘訣は、情報を制限して他者の豊かさを遮断すること。強い光を受けることで、自分の影を濃くしないこと。

韓国の宣伝放送は楽しい曲を流して、北朝鮮の人たちの不幸の影を自覚させる強力な兵器です。SNSに没頭して、他者の投稿にあてられるのは、自ら望んで不幸を生み出しているようにも思えます。

人間の本質は、100年や1000年の単位では変わりません。最近、読んだ「サピエンス全史」は、こうしたことを考えるきっかけにもなりましたのでご紹介しておきます。