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新聞と広告の向こう側

新聞のつくり方・広告を読み解く視点

自己啓発本が私にもっと輝けと囁いている

エッセイ

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あなたは自己啓発本が好き? 書店に行くと、男女問わずこのコーナーで新刊を求める人を目にする。この人たちは現状に何らかのの不足を感じているのだろう。思い描く理想はどのようなものか。はたして啓発書の新刊には、理想と現実の溝を埋める答えが書かれているのだろうか。

先日、ショッピングモール内の書店で、自己啓発本を手に取り熱心に立ち読みをしているジャージ姿の男性がいた。男性の隣には、赤子を背負った奥様とおぼしき女性が、右手に荷物、左手は3歳くらいの子供と手を繋いで立ち尽くしている。読み終わるのを待っているのだ。

この一事を見ても、この男性に必要なものが自己啓発本ではないことがわかる。足りないのは正しく現状を認識する能力、そして何をすべきか合理的に判断する能力である。つまりは、すぐに奥様の手荷物を持ち、その場を後にすることだ。どれだけ本を読んでも、大成する道理がない。

前に人が迷うのは、自分の立ち位置、現在地を見失っているからだ、と書いた。誰もが理想や目的地は持っている。ただ、どの方向へ行けば良いかわからないから迷走を続けるのである。

自己啓発本を読んでいるわりに人生が好転しない人におすすめの本がある。デッサンの教本と私立中学入試レベルの算数の問題集だ。これまで啓発本好きに何度も薦めているが、誰一人、試さない。ただ、自己啓発本を読む時間がないほど公私ともに充実した人は、その効果を理解してくれる。

デッサンの教本は、事象を正しく見る目を養う。これは自分の置かれた環境、現状、現在地を正確に認識する力になるだろう。算数の問題は、与えられた条件で正しい答え、解決の道筋を見通す力をつけるだろう。

人生は、観察と評価、そして判断(選択)と行動の連続だ。より良い判断をし行動を積み重ねていけば多くの物事は改善される。そしてこの正しい判断は、正しい観察と評価に基づく。自分と周囲が見えない者に自己啓発本は意味をなさない。

なぜなら、どの局面で、啓発本のどの内容を実践すれば良いか判断を誤るからだ。「人を褒める」と書いてあっても時と場合によるだろう。単純に一元的にうまくいく方法が確立されているのなら、これほど数多くの啓発本は発刊されない。

啓発本には神秘的、オカルト的な秘術が書かれているのかも知れない。もちろん。この世には道理に沿わない不可思議なこともあるだろう。途方もない確率を引きあて数奇な運命を辿る人もいる。しかし私の観察では、物事の大半は道理に沿っている。ゆえに損得勘定をして得を取るべきなのだ。

損して得を取る、というが、それは一見、損に見えるだけで実際は最適解なのである。プロの将棋指しが何十、何百と展開を読み、飛車をタダ同然で捨てる。局面が進むと、それが相手の玉を詰ませる必勝の一手となる。素人には、飛車を捨てるのが、損に見える、否、得が見えないだけだ。背景には緻密な損得勘定がある。

自己啓発本を鵜呑みにして、愚かな選択をしてはいないか。銃を向ける相手からは身を守るのが道理。労いの言葉をかけ、笑顔で近づけば、どこに続く道が開かれるのだろう。