新聞と広告の向こう側

新聞のつくり方・広告を読み解く視点

夏休みの友は友じゃない!敵!

夏休みの友をやる子供

夏休みの宿題の定番といえば「夏休みの友」。僕が子供の頃は、日誌と呼んだ。地域ごとに呼び方はちがうようだ。今、自分の子供たちに「日誌はやったか」と言っても通じない。

今回、話題にしたいのは、この夏休みの友の宿題のこなし方について。夏休みの終盤、新学期の直前になってあわてて仕上げる。僕はその口だった。当時は、インターネットもない時代だから、天気などは、まじめな友達の記録を映していた。今は、過去の天気もわかるので便利である。

一方、子どもの中には、夏休みがはじまるとすぐに前倒しで夏休みの友を終わらせる子がいる。うちの子も工作だとかポスターなどの課題以外は、8月に入る前に全部終わらせる。こうした様子を見て奥様は、とても満足気であるが、僕はちょっと違う感想を持っている。

 

夏休みの友で自制心を磨く

僕は「夏休みの友」は、子供の学力の定着だけを目的としたものではない、と考えている。では何が求められているのか。それは「他者によって決められた課題を一日に決められた分量だけ淡々とこなす」という自制心のように思う。

思うに締め切り直前に課題をこなすのも、夏休み開始直後に課題を終えてしまうのも「自分の意思」で好きなようにできることだ。ようするに自分勝手なペースで物事をすすめているといえる。これは、意外にラクなのだ。

 

自分のペースでできる仕事は少ない

大人になり広告の会社に入って感じるのが、仕事は一人だけで成立するものは少なく、たくさんの関係者のペースの公約数ですすめることが多いということ。自分だけ早く済まそうにも、川上からの仕事は一定の割合でしか流れてこない。また、川上からの仕事をせき止めて、まとめて処理しても川下に流せる量は一定で仕事が滞る。

宿題を夏休みが始まってすぐに片づけるようなできる子は、社会に出てから、こうした不条理に直面して苛立ち消耗するかもしれない。社会に出ると、自分の能力を自由に使ってマイペースですすめられる仕事は驚くほど少ない。

 

世の中の不合理の耐性をつける

夏休みの友を一日分の分量だけ確実にこなす。子供にやらせてみるとわかるが、これは意外に難しい。だからこそ、こうした習慣づけは、社会に出てからのストレスを減らす訓練になるだろう。人によっては子供を社会の歯車として養成する洗脳と捉える人もいるかもしれない。

しかし、洗脳とは無意識に施されるものである。一度、知りながら従ってみてはどうか。世の中の不合理を先取りして経験できるだろう。