江戸時代から現代までの新聞をめぐるできごとを年表で紹介。
詳しい説明は、リンク先で確認できます。年表から戦争や災害時に新聞の果たす役割が大きくなることが年表から読み取れます。2017.6.9追記
新聞の歴史年表(日本)
西暦 | 出来事 | |
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1861 | 文久 | 長崎の外国人居留地で、日本ではじめての英字新聞、ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザーが発行される。 |
1862 | オランダ語を訳した、日本ではじめての翻訳紙・官板バタヒヤ新聞が発行される。 | |
1871 | 明治 | 日本ではじめての日刊紙・横浜毎日新聞が創刊される。 |
1872 | 漢文調で書かれ、大判だったため大新聞(おおしんぶん)と呼ばれた日新真事誌、東京日日新聞などが創刊される。 | |
1874 | 親しみやすい話言葉で書かれ、サイズも小さめだったため小新聞(こしんぶん)と呼ばれた読売新聞が創刊される。 | |
1875 | 政府は自由民権運動に対処するため、記事の内容を取り締まる新聞紙条例・讒謗律*1(ざんぼうりつ)を公布。 | |
1886 | 読売新聞が小説欄を設置したのを機に、この年以降、尾崎紅葉の「金色夜叉」、夏目漱石の「心」など、数々の名作が新聞小説から生まれる。 | |
1890 | 朝日新聞社は、フランスのマリノニ輪転印刷機を導入し、印刷の高速化をはかる。 | |
1894 | 日清戦争で号外*2合戦が過熱し、号外売りという商売があらわれる。 | |
1904 | 日露戦争でも各新聞社は号外を競い合い、1日に何度も発行されることもあった。 | |
1925 | 大正 | ラジオ放送開始に合わせて読売新聞社がラヂオ版(ラジオ欄)を設置。 |
1941 | 昭和 | 太平洋戦争に向けて軍に有利な情報だけを伝えるため、国の政策によって新聞の統合がはじまり1200社あった新聞社が最終的には55社に絞られた。 |
1945 | 第二次世界大戦で被災した東京の新聞社5社が共同新聞を発行。GHQは新聞の創刊を奨励する一方で検閲*3を行った。 | |
1946 | 日本ではじめてのスポーツ紙、日刊スポーツが創刊される。社団法人「日本新聞協会」が設置される。 | |
1951 | 23紙が朝夕刊セット販売を開始する。 | |
1959 | 朝日新聞社が日刊紙では世界初のファックス印刷をはじめ、東京で作った紙面がファックス送信され、北海道で印刷できるようになった。 | |
1969 | 電車の中でもじゃまにならないサイズのタブロイド判*4で、夕刊フジが創刊される。 | |
1987 | 兵庫県西宮市にある朝日新聞社阪神支局が、散弾銃を持った何者かによって襲撃され記者一人が重症を負い、一人が死亡した。 | |
1989 | 平成 | 日本でNIEの組織的な取り組みがはじまる。 |
1995 | 阪神・淡路大震災で神戸新聞社が被災し発行が危ぶまれたが、京都新聞社の協力で休まず発行できた。 | |
1996 | 毎日新聞社が日本でははじめて、インターネットによる有料情報サービスを開始。 |
追記:世界最古の新聞は「Relation」
江戸時代から明治時代の新聞
日本の新聞の元祖は、江戸時代に発行された瓦版(かわらばん)といわれています。瓦版は、社会を揺るがす大きな事件や災害、人々の興味を引くような出来事を庶民に知らせていました。
幕末になると、横浜や長崎などで、海外の新聞を日本語に訳したものが発行されました。1862(文久2)年に「官板バタヒア新聞」が江戸幕府から発行されました。これが日本ではじめて「新聞」と名付けられたもので、冊子型の翻訳新聞でした。
日刊新聞の第一号として1871(明治3)年に「横浜毎日新聞」が創刊されました。横浜港に関する貿易が中心記事です。明治初期には自由民権運動も高まり、政党新聞などが発行されますが、同時に政府による言論の取り締まりも強くなりました。
一方で、1894(明治27)年の日清戦争では、戦況を伝えるのに新聞が大活躍しました。
明治時代から昭和の新聞の役割
明治初期の新聞は、漢文調で主に政治・掲載論などが書かれていました。そのため一般庶民にはあまり読まれませんでした。やがて、1874(明治7)年に発行された「読売新聞」など、大衆が興味を持つ話題を口語調で書いた新聞が発行されるようになると、多くの人に広まっていきました。
紙面に写真が登場するのは、明治の後半からです。印刷技術の発達の様子が年表からもわかります。
Q:新聞印刷の歴史は?
明治3年から活版印刷の時代へ
活版印刷は、1445年にドイツのヨハネス・グーテンベルグが発明。 日本に活版印刷の技術が入ってきたのは、16世紀頃です。 東洋と西洋から日本に活版印刷が伝わりましたが、当初はあまり広まりませんでした。
新聞が多くの人に読まれるようになると、今度は言論統制の対象になってきました。1936(昭和11)年の政府による言論統制では、社会の木鐸*5であるはずの新聞も自由に紙面を作ることができなくなり、政府の都合のいい記事を載せざるを得なくなりました。
第二次世界大戦後の民主主義を迎えてからは、新聞は社会の不正・腐敗を監視し、権力から民主主義を守ることを使命とし今日に至っています。
日本の新聞は、世界的にも珍しい宅配制度を採り、国民の購読率は世界のトップレベルで、影響力の大きいメディアです。