夏休みの宿題で「平和新聞」が出されることが多いようです。この記事では、平和新聞の書き方を説明します。 まずは平和とは、何かを確認しておきましょう。新明解国語辞典で「平和」を引いてみます。
平和とは
(1)心配・もめごとが無く、和やかな状態
(2)戦争や災害などが無く、不安を感じないで生活できる状態。
この平和の意味を踏まえて新聞を作ることになります。特に、夏休みの宿題で平和新聞が出される意図には 8月15日の「終戦の日」があります。第二次世界大戦の終結(終戦)を記念した日です。
したがって、平和新聞を書く場合は、辞典の(2)の意味で、戦時中と現在の暮らしを対比して書くのが標準的です。 もちろん題材は自由ですので、戦争ではなく東日本大震災や熊本地震などの災害を取り上げても構いません。 この記事では、第二次世界大戦を題材に平和新聞の書き方を説明します。
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- 平和新聞のレイアウト
- 平和新聞の書き方の手順
- 題字の書き方
- タイトルの書き方
- 平和新聞に使う写真は?
- 第二次世界大戦の本文
- 第二次世界大戦の人的損失の部分
- サブ記事の書き方
- 平和を願って今できること
- まとめ
平和新聞のレイアウト
この項では、最初に平和新聞の基本的なレイアウトを確認します。
新聞作りでは、先にレイアウトを決めてから必要な記事を集める方が効率的です。下図を参考に、用紙にレイアウト線を引きましょう。
平和新聞の書き方の手順
新聞の書き方の手順を説明します。レイアウト図通りに枠線を引いたら新聞に必要な情報を順に書き込みます。
- 題字を記入する
- 記事のタイトルを書く
- 写真を貼る・イラストを描く
- 記事本文を書き込む
- 人的損失の資料欄を記入する
- サブ記事を書く
- 沖縄の少年兵
- 原爆と文学
- 感想を書く
- 平和を願って今できること
レイアウトの線を引いて、この順番で内容を書いていけば完成するのね。これなら私にも書けそう。
題字の書き方
平和新聞の題字は、あまり凝る必要はありません。「平和新聞」か「平和祈念新聞」とします。題字の下には、学年やあなたの名前を記入します。
タイトルの書き方
今回のタイトルは「終戦から72年 第二次世界大戦を振り返る」にします。
72年の年数は、2017年に平和新聞を書く場合のものです。終戦は1945年ですから、現在の西暦から1945年を引いた数字が ここに入ります。必要に応じて書き換えてください。2018年なら73年、2019年なら74年です。
平和新聞に使う写真は?
この平和新聞には、3点の写真を入れています。長崎の平和祈念像、沖縄戦の少年兵の写真、原爆ドームの写真です。写真には著作権があります。 適当な写真がない場合は、写真をもとにイラストを描くと良いでしょう。平和記念像や原爆ドームの写真は、Photo acでダウンロードできます。
本文の写真は、長崎の平和祈念像ですね。神の愛と仏の慈悲を象徴です。指している腕に意味があります。 写真の説明(キャプション)は「長崎の平和祈念像」でOK。
第二次世界大戦の本文
レイアウトできたら本文を書きます。第二次世界大戦のおおよその流れを下に書いておきます。できるだけ短くしたので、そのまま写しても大丈夫です。約350文字あります。
記事本文の見本
世界恐慌に端を発して、日本と中国が戦争をしている頃、ドイツがポーランドに攻め入り第二次世界大戦がはじまります。
長引く日中戦争で苦しむ日本は、ドイツ、イタリアと手を組んで三国軍事同盟を結びます。しかしこの同盟に反感を抱いたアメリカとイギリスが日本への石油の輸出を禁止。日本はアメリカとの交渉が決裂します。
日本は中国と戦争中にも関わらず、アメリカにも攻撃を開始します。ハワイの真珠湾攻撃です。これが太平洋戦争のはじまり。太平洋戦争開始から半年くらいは日本が押していたもののミッドウェー海戦に惨敗してからは、アメリカの反撃にあうことになります。
日本は空襲を受け、長崎・広島に原爆が投下されます。1945年8月15日、日本は降伏しポツダム宣言を受け入れます。現在この日は「終戦の日」です。
第二次世界大戦の人的損失の部分
第二次世界大戦の人的損害の枠は、次の数字を記入します。人的損害とは亡くなった方のことです。推計なので数字に幅があります。
人的損失欄の記入見本
- 第二次世界大戦の人的損失(死者)は6000万~8500万人
- 当時の世界人口の3.17%~4.0%
- 日本の人的損失は262万~312万人
- 当時の日本の人口の3.67%~4.37%
- 民間人50万~100万人が含まれます
サブ記事の書き方
平和新聞では、メインの記事(今回は第二次世界大戦の流れ)のほかにサブ(補助)記事を書きます。サブ記事を書くことで、事実をより具体的に 知ることができます。
今回は「沖縄戦の少年兵」と「原爆と文学」を話題にサブ記事の見本を示します。見本にこだわらず、この欄は「戦時中の暮らし」など主題に関係した 自分の関心のある話題を書きましょう。
平和新聞のサブ記事の定番は、戦争経験者の祖父母に当時の状況をインタビューするものでした。 しかし終戦から70年以上が経ち、当時の話を聞くことが難しくなりつつあります。 戦争経験を聞けるお年寄りがいれば、直に取材して記事にすると良いでしょう。
沖縄の少年兵
沖縄の少年兵│記事見本
大平洋戦争末期の沖縄戦では「鉄血勤皇隊」という少年兵部隊がいました。国の招集で戦闘に動員された14~17歳の中学生たちです。
少年兵は、人道に反するものとされます。しかし、地上戦となった沖縄では、老人、女性、子供までを戦力化し戦場に送り込んだのです。沖縄戦では、激戦の末、約1200人の少年が戦死しました。
戦争といえば、大人の兵隊ばかりだと思っていたけれど、沖縄では、今の僕たちと年の変わらない少年が兵として集められたのですね。
どういう気持ちだったのだろう?
もしこれから戦争がはじまったら、僕たちも兵士に取られてしまうのかな。
原爆と文学
原爆と文学│記事見本
人類史上、実戦で核兵器が使われたのは、1945年8月6日に広島に投下された原子爆弾と8月9日に長崎に投下された原爆だけです。同年末までの死者数の推計は、広島は約14万人、長崎は約7.4万人といわれます。当時、広島の人口は約35万人、長崎の人口は約24万人。このことからも被害の大きさがわかります。
峠三吉の原爆詩集「にんげんをかえせ」、永井隆の「長崎の鐘」が原爆を題材にした文学として知られています。
数字で見ると原爆の恐ろしさを実感します。広島と長崎の人口の1/3の命が原爆の被害でその年のうちに奪われてしまったのですから。
それなのに、現在でも世界の国々では核の保有や実験を続けているのはなぜでしょうか。
平和を願って今できること
この欄は、自分の考えや感想を記入します。例をひとつだけ書きますが、この欄だけは自分の言葉と考えを書くことが大切です。自分なりに戦争や平和に対する意見や視点を持つということです。
平和を願って今できること│例
第二次世界大戦の原因のひとつに「世界恐慌」があります。各国の景気回復の打開策が利害関係の衝突を招き、戦争に発展したのです。今でも武力に訴える国は、経済的に困窮している国が多いようです。単に戦争反対を叫ぶよりも、こうした経済の問題を解決すること。これが平和維持に有効なのではないか、と考えました。
まとめ
以上、平和新聞の書き方を解説しました。内容は、小学校の高学年から中学生向けです。戦争には、さまざまな解釈がありますが、それは読者が自分たちで勉強して 意見を育んでいくものと考えます。
出来事や用語でわからないものがあれば、この機会に調べ、ぜひ最後の欄の「平和を願って今できること」は自分の言葉で書いてみてください。